NueNova’s diary

NueNovaのブログ

Re:ゼロから始める異世界生活 リゼロEX

 陽光に目を焼かれて目覚めるのは、ここ最近のスバルの朝の恒例行事になっていた。

「ほーらー! 朝ですよー! 起きて起きて、スバル様!」

 目覚めのいい方である自負はあるが、さすがに覚醒の取っ掛かりを与えられてすぐに完全覚醒とはいかない。日光によって現実に招かれているのを脳が近くし、眠りの世界から戻ってくるのにしばしの時間を要する。
 最近は特に眠りが深い。もちろん、起きているときにそれだけ心身ともに酷使しているということであり、日々が充実している証拠ではあるが。

「もう、起きなきゃダメじゃないですかー! 起きて! ほら、おーきーてー!」

「うるさい」

「むぎゅ!」

 ベッドの中で丸まるスバルの耳元で、そんな事情を考慮してくれない目覚めの声。スバルは息がかかるほど近くで浴びせられる声に対し、それを抱き込むという報復に出た。
 蛙が潰れるような声を上げて、声の主はスバルと一緒にベッドの中に。
 まだまだ朝は肌寒い季節であるので、そうして人肌を中に取り込むと温さがちょうどいい塩梅になる。

「あー、人心地に生き返るわぁ。このまま麗らかで安らぎの二度寝に沈むってのも乙なもんだ……そう思わないか?」

「んむ! ……もう、わたしは……その、別にいいけど……」

 先ほどまでの勢いもどこへやら、スバルの甘言に容易く乗せられそうになる声。
 付き合いもそろそろ長くなってきたが、普段はしっかり者のくせに、こうしてスバルに甘やかされるときになると、途端に幼い表情が覗く子だ。
 そういうところが、ひどく愛おしいと思える。現金な話だけど。

「よーし、いい子だ。じゃ、やっぱりこのまま俺とイチャイチャ朝の時間を……」

「でも、今日の朝食の担当は公爵様だから……怒られるかもしれないですよ?」

「う……でしたっけ」

 失念していたことを言われて、スバルの勢いが消沈する。このまま、めくるめく二度寝の快楽に沈むのを選択すると、後が非常に怖いことになる。
 仕方なし、とスバルはベッドの中で腕の中の少女をもう一度だけ思い切り抱きしめ、それから勢いよくタオルケットを跳ね上げて、

「しゃーない、起きるか。あぁ、クソ、今日もいい天気だなぁ、オイ!」

 ベッドのバネを弾ませながら、スバルはその場で軽く屈伸。そうして、まだスバルの手でベッドに引きずり込まれた状態のまま寝そべる少女を見下ろし、

「おいおい……そんな乱れた格好してるとエロさが半端ないな。女の子がそうそうはしたない真似すんなって、いつも言ってんだろ――ペトラ」

「大丈夫です。わたし、スバル様……スバルの前でしか油断しないもん」

 舌を出して、愛らしく微笑みながら、メイド姿がよく似合う年頃になった、ペトラ・レイテがいじましいことを言う。
 そんな彼女に手を差し伸べて、ベッドから引っ張り起こすと、

「んじゃ、食堂に行くか。もう、みんな揃ってる頃合いだろ?」

「はい。いきましょう、スバル様」

 頷きかけると微笑むペトラ。そんな彼女の手を握ったまま、ベッドを降りる。
 二人手を繋いで、スバルとペトラは通路――赤い絨毯の敷き詰められた、ルグニカ王城をゆっくりと歩き出したのだった。


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「遅い」

 ――食堂に入ったスバルを開口一番出迎えたのは、ひどく不機嫌なのを一発で知らしめてくれる凛とした声音だった。

 声に秘められた威圧感を浴びて、スバルは背中にほんのりと冷や汗をかく。それから内心のビビりを悟られないように笑みを作り、軽く手を掲げて、

「悪い悪い。いや、さすがにちょっち疲れが溜まってるってのがあるんだろうな。なかなか朝が起きられなくてさ」

「下手な嘘を並べ立てるな。本音か建て前か、私には見破れるのを忘れるなよ。……どうせ、今朝も起こしにきたメイドと乳繰り合っていたのだろう」

 じろり、と鋭い視線を向けられて、スバルは口笛を吹きながら顔を背ける。
 実際、ペトラといちゃついていたのは事実だ。朝のお迎え当番が誰であれ、多少のいちゃつきがあったことは間違いないだろうが。

「いずれにせよ、卿が私との約束を蔑ろにしたのは事実だ。……その程度に扱いをされるというのも、仕方ないこととは思うが」

「いや、そんなつもりは……」

「慰めなど不要だ。私とてわかってはいる。私は……可愛げのない女だからな。卿を取り巻く他の婦女と違って、剣を振ること以外に積極的ではなかった。着飾ることも、化粧することもほとんど知らない。卿を、満足させられないのも当然で……」

 らしくない自虐の言葉が続くのは、これまで日々溜め込んでいたものが溢れ出したからだろう。こういうものの堤防が切れるのに、大きなきっかけは必要ないのだ。
 ただ、積もりに積もった不満がこのとき、顔を出したというだけで。そして、そうなるまで気付けなかったのは、間違いなくスバルの不徳なのだ。

「――何の、つもりだ」

「俺の心が読めるんなら、どういう意図があるのかとかも読めるんじゃないの?」

「からかうな」

 腕の中に抱かれながら、顔を背ける仕草。彼女はスバルの顔を見ずに、抱かれることを恥じるように肩を揺する。だが、それも形だけの抵抗だ。

「私に見えるのは、あくまで風向きだけだ。相手の心の機微の表層は見とれても、その内まで見透かせるわけではない。……だから、卿の行動の真意は、卿の口から聞かないことにはわからない」

「ずいぶんとまた、恥ずかしいこと聞きなさるんだな」

「卿の真意は恥ずかしいことなのか。……それは、私にも見えなかったな」

 腕の中で苦笑する気配。ちらと見れば、こちらを見る彼女の視線と視線が絡む。抱き合う二人の顔は至近で、息がかかる距離は刹那で詰めることができる。
 だからスバルは、言葉よりも雄弁な方法で彼女の問いに答えることにした。

「――ん」

 重なる唇に、遠慮がちに伸びてくる舌の感触。漏れ出す吐息の熱がいやに艶っぽく、押し付けるように口づけをせがむ姿に耳が熱くなるのがわかる。
 ひとしきり唇を重ね合い、どちらからともなく離れる。かすかに乱れた息。潤んだ瞳になる彼女を見て、普段は毅然とした佇まいの女性に艶めいた表情をさせている事実がひどくスバルの内心を焦がした。
 この顔を見れるのは自分だけなのだと、そう思うと体の中心が熱くなる。このまま、さらに彼女自身を求めようと腕を伸ばして、

「――今朝は、ここまでだ」

 しかし、瞳に宿る熱情を瞬きで消した彼女に、伸ばした腕はさっと遮られた。
 官能的な興奮の行き先をなくして、伸ばした指を未練がましくスバルは開閉。それから恨めしげに相手を見やると、彼女は見慣れた凛とした微笑みを浮かべる。

「歯止めが利かなくなれば、今日の予定の多くに支障をきたす。ましてや、卿の立場はもはや私一人のところに留め置いてよいものではない。だから、ここまでだ」

「……たまには、我を忘れるぐらいに溺れてくれても可愛いと思うけど?」

「言ったはずだ。私は可愛げのない女なのだと。――全部忘れて、あなたと一日を怠惰に過ごすのも魅力的ではあるけど」

「――そうやって要所要所で、女らしいとこ見せるのがずりぃよなぁ」

 最後のちょっかいのつもりで伸ばした手が、上から軽くはたかれる。叩かれた手を振りながら、スバルは颯爽と振り返る背中を見やり、

「さあ、食事にしよう。今朝は腕によりをかけて……卿に振舞う食事に手を抜くことなどないが、今朝は特に自信作だ」

「多分、狙ってないときの方が殺し文句多いのってクルシュさんらしいとこだよね」

 肩を落として、それからスバルは空腹を刺激する香りがする食卓へ。
 彼女が腕を振るったと、自慢げに手を広げている。

「忙しい身なのはわかっているが、こうしてひと時、食卓を囲む時間ぐらいは私に卿を独り占めにさせてほしい。――わがままですまないな、良人よ」

「これがわがままっつーんなら、可愛すぎると思うぜ、俺の嫁

 大きな食卓に腰掛けると、いつものようにすぐ隣に腰掛けてくるクルシュ。そのままちらと横目に、スバルが最初に食事に手を付けるのを見守っている。
 そうして一口目を食べて、スバルが決まりごとのように「うまい!」と言うまで、その凛とした瞳の奥にかすかな不安を覗かせているのだ。
 そういうところが本当に卑怯だと、そう思いながら、スバルはフォークで突き刺した最初の一口を口に放り込んで、やっぱりうまいと言ってしまうのだった。


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 ――公務の名目で、机の上に山と積まれた書類を前にスバルは苦戦していた。

「やってもやっても、終わる気配が見えねぇ。漫画とかアニメでこういうシーンってよくあるけど、あれって現実にも起こり得るんだ……」

「ぶつぶつ言っている間に追加よ、バルス。いつまでも休憩していないで、さっさと仕事に戻りなさい。愚図ね」

「お前、俺の立場わかっててそういう発言してる!?」

 書類の山の一つがそろそろ片付き、残す霊峰はあと四つ――というところで、無情にも追加される白い山脈。山の数がさらに四つほど増えたところで、スバルは手にしていた羽ペンを正面に突きつけ、

「いつまでも上から目線でいいと思ってんのか? 俺がこの国で今、どれだけの力を持ってるかおわかりかよ。後輩目線で触れてていい間柄はそろそろ終わりだぜ、アンダスタン?」

バルスの方こそ、誰かの手を借りなきゃまともに一人で立てないことを忘れたような発言だわ。ラムがここでバルスを見捨てて退室したら、いったい誰がこの書類の山の代筆を手伝うというの? 立場を弁えなさい」

「すいませんでした、姉様! お願い! 見捨てないで! 俺を助けて!」

 即座に前言撤回して、スバルは机に体を投げ出してプライドも捨てて頼み込む。
 それを見て、桃色の髪のメイドは「はっ」と鼻を鳴らして、

「立場がどうあろうと、変わらないところは変わらない。いい加減、このやり取りも飽きがくる頃だわ。もっとマシな口車に買い替えることね」

「姉様の度量には本気で平伏するぜ。こんなシーン、他の人たちに見られたら大変なことになるよ? 俺、メイドに弱味を握られる!ってスキャンダラスな記事が新聞の一面を飾ることになる」

「ラムが上でバルスが下。事実に偽りないわ。問題ないわね」

「姉様マジ半端ねぇッス!」

 相変わらずの傍若無人ぶりにスバルが声を震わせると、ラムは呆れたように吐息。それから彼女はスバルの執務用の机に予備の椅子を付けると、ペン立てからこれまた予備の羽ペンを抜き出し、

「代筆できるものはラムが代筆するわ。確認だけとるから口頭で答えなさい」

「オーライ、いつも助かります。姉様がいなきゃ真面目に国が回らねぇな」

「感謝の気持ちは態度で示しなさい」

「具体的には?」

「様付けするのが礼儀じゃないの?」

「それも他人に見られたら大変なことになるやり取りですぜ!?」

 ともあれ、無駄口を叩くと手が止まるスバルと違い、ラムの事務処理のスピードは尋常ではない。前にちらっと聞いた話では、ロズワール邸でもこうしてロズワールに代わって書類仕事を片付ける裏方に従事していたらしい。
 そういう場面を目にした記憶がなかったので、最初はそれなりに驚いたものだ。

「ただ、椅子でふんぞり返ってるだけじゃなかったんだよな」

「不名誉な評価をされている気がするわね」

「まさか。褒めてんだよ。人は見かけと態度と素行によらないねって」

「腹いせに、過激政治団体の嘆願書を認可するわ」

「YA・ME・TE!」

 確認すると言ったわりに、わりとバシバシ自分の裁量で処理していくラム。かといって、スバルの方からそれをわざわざ指摘することもしない。
 口では色々と言いつつも、スバルの方から彼女に正すべき点などないだろうという、これ以上ない信頼の表れでもあった。

 ちらと、書類に向き合うラムの横顔をうかがう。
 相変わらず、張りつめたような無表情がそこにはある。柔らかな面差しと、どこか幼さを残した容姿は出会った頃から変わらない。微笑めば花のように可憐であるのに、そんな姿は年に一度、見れるかどうかなぐらいの頻度でしか咲かないところも。

「……また、手が止まっているわよ、バルス

「あぁ、ごめん。ラム見てた」

「――――ちっ」

「舌打ち!? レムなら顔真っ赤にしてすげぇ可愛い顔するとこだぜ!?」

「レムとラムを並べて比較するのはやめろと言っているでしょう。ねじ切るわよ」

「何を!?」

「ナニを、かしらね」

 凍える瞳で横目にされて、スバルは体の奥がヒュンとなる感覚を味わう。
 悪気があって名前を出したわけではなかったが、癇に障ってしまったのなら失敗だ。ラムよりレムを優先しろと、口を酸っぱくして言うのが普段の彼女なのだから。

「比べたわけじゃねぇけど、ラムに見惚れてたのは本音なんだけどな。お前、こうして喋らないで余計な動きしないで性格知らなければ、超可愛いよな」

「喋るところを見て、動き回るところを見て、性格をより深く知るようになれば、それを超越して愛らしいということ。――エミリア様方に言いつけるわよ」

「口説いたわけじゃねぇし、そこまで言ってねぇけど!?」

 自己評価の高さと、スバルへの評価の低さも相変わらず。とはいえ、本音のところであまり自分を高く見積もっておらず、こうして居丈高々に振舞っているのはポーズであるのだと、今ではわかっているつもりだ。
 なので、可愛げのない発言も、照れ隠しだと思えば許せるような気もする。

「また、不快な生温かい目つきになっているわね、バルス

「そうか? ……そりゃ、悪かったな」

 ラムの横顔から視線を外して、これ以上彼女の怒りを買わないように書類仕事に戻る。寄り道が楽しいのは事実だが、終わるものを終わらせなくては予定もままならない。
 仕事は仕事として、やり切った上で遊ぶのだ。

「ラムとレムを、同じ立場で比較するようなこと……しないでほしいわ。それはバルスがまるで、ラムをレムと同じような対象として、見れるように聞こえるから」

 仕事に没頭するスバルは、自分の横顔を見つめて、ラムがそうぽつりと呟いたことには全く気付かなかった。
 ――羽ペンが白い髪の上を滑る音だけが、執務室の中で踊るように流れていた。


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「――暇じゃ」

 乱暴に扉が開け放たれて、入ってきた人物の最初の一言に、スバルはげんなりとした顔をする。
 そのまま見なかったことにするように視線を落とし、目の前のテーブルに並ぶ物品の確認に戻ろうとする。が、

「妾の声が聞こえんのか、不敬じゃぞ」

「ああ!? てめっ、何もひっくり返すこたぁねぇだろうが!?」

 無視した腹いせに、足で思い切りにテーブルがひっくり返されて、その上に乗っかっていたものが盛大な音を立てて床を転がる。
 慌ててテーブルを直し、落ちたものを拾い集める。衝撃で壊れるような軟なものがなかったのが幸いしたが、心臓に悪い思いをしたのが本音だ。

 回収したそれらの無事を確かめて安堵の吐息を漏らし、それからスバルはテーブルを足蹴にした人物――今日も今日とて自己主張の激しい赤いドレスを着た少女、プリシラの姿を睨みつける。

「お前な、俺は今日も仕事が詰まってんだ。くるときはくる前に連絡入れろっていつも言ってんだろが。そしたらちゃんと、こっちにお前がくる前に断り入れられんだからよ」

「ふざけるでない。妾が暇を持て余すのは、妾の気分次第でいつになるか知れん。だというのに、どうして貴様の都合に合わせねばならんのじゃ。立場を弁えよ」

「お前が弁えろ! なんで俺の周りの自己中な女は、俺の立場がどんだけ変わっても接し方が変わらねぇんだよ。俺、ひょっとして名誉職扱いなの?」

「くだらんな、つまらんな。前にも増して言動に雅さが欠けているぞ。そのような振舞いでは到底、誰しもを納得させる王道など歩めまいよ。――妾らを下し、玉座を簒奪したというのに、その体たらくとは……情けなくて、四等分したくなる」

「スプラッタ!」

 真紅の瞳に嗜虐的な光をともし、プリシラは喚くスバルに退屈そうな顔を向ける。相変わらず、自分本位に苛烈な少女だ。相対していて疲れることこの上ないが、その主張の根本の部分には筋が通っているのだから性質が悪い。
 少なくともスバルの今の立場が、彼女らの願いを押しのけて得たものなのに違いはないのだから。

「それにしても、粗末な趣味じゃな。いったい、何を見て無聊を慰めておったのじゃ」

「暇潰ししてたわけじゃねぇよ。これはほれ、最近は町中とか田舎で流行ってるっつー魔鉱石とか色々と利用してできた新技術の集まりだよ。けっこう、こうして見てると人の発想力っておもしれぇなって思えるぜ」

「ほう、新技術とな。たとえば、どんな効果がある?」

「たとえば、そうだな……」

 プリシラの質問に、スバルはテーブルに並べ直したものの中から、掌に収まるサイズの金属の箱のようなものを手に取る。
 目を細めて効果の説明を求める彼女に、スバルは金属の箱の底を軽く叩いてみせる。と、小さく音を立てて箱の上部から青い炎がともった。

「ほう、持ち運べる大きさの火付け器か」

「俺の地元じゃライターあるいはチャッカマンと呼ばれる道具だな。これが普及すると、魔法使えなくてもバーベキューできるようになるし、ちょっとした明りにも……なるかな? 後は一本あると、外で火を起こすのが楽になるよな」

「飛躍的に建物を燃やす不愉快な輩も出そうに思えるがな」

「ぐ……っ」

 シビアな意見を突きつけてくるプリシラ。この少女、普段の言動から察することは難しいが、これでなかなか以上に頭が回る。
 彼女はスバルの手の中のチャッカマンをじろじろと見やり、

「中に小さくした火の魔鉱石が入っておるな。それを底部の仕掛けで刺激して火を起こさせる……じゃが、仕掛けに不備があればちょっとの過熱のつもりが弾けぬとも限らん。何度も使用した魔鉱石は効果の程度も発揮される時間も劣化するからな。交換する頻度が多くなりすぎるようなら、市井に普及するのはまだまだ先であろう」

ぐぬぬ……っ!」

 つらつらと並べ立てられた不備は、開発元から上がってきていた改善必要点とぴたりと一致する。一目見て、それらを見つけ出す眼力――他人の弱味を見つけるのがうまいと、そう言い換えてみてもいいが。

「いずれせよ、わざわざ最初に見せつけたということはそれが一番の自信作じゃろう? 自信作でこれとは……残りの程度が知れるというものじゃな」

「う、うるさいうるさい。いいか? 未知なる技術に挑もうとする姿勢、人はそれをロマンっていうんだ。いつの時代も、ロマンこそが人類を進化させてきたんだよ。俺は信じるぜ……このチャッカマンがいずれ、人類の大きな道を開くことを」

 ロマンを解さないプリシラの態度に、スバルは拳を握りしめて反論。それから改めてチャッカマンの底を叩き、その青い炎の雄姿を見せつけてやろうとして――。

「あれ? あれれ? なかなかつかない」

「ふむ、さっそく不備が出たか。ろまん、だかなんだか知らんが、その様では期待をかけるのもさぞ滑稽であろう……よ!」

 退屈そうに語っていたプリシラの表情が、ふいに引き締まり語尾が高くなる。次の瞬間、彼女は胸から抜いた扇子を一閃――スバルの手の中にあったチャッカマンの先端がその威力に吹き飛び、跳ねた先で音を立てて破裂する。
 部屋の隅で一瞬だけ大きく上がった赤い閃光に、スバルは息を呑んだ。

「この機会で最悪の不備が出る……開発者には厳罰を与えるべきであろうよ。王国にとって何より重要な貴様の身に、重大な危機を及ぼしかけたんじゃからな」

「……そこまで、するつもりはねぇよ。けど、ありがとう」

 とっさの判断でプリシラがチャッカマンを弾いてくれなければ、結構な火傷をしていたかもしれない。あるいは内から弾けた金属が、顔に大打撃を与えた可能性もある。
 スバルは未然に被害を免れた顔をペタペタと撫でて、

「これ以上、人相が悪くなったら困るもんなぁ」

「なに、それほど悪くはない。見慣れればそれなりに愛でようもある」

 脱力して椅子に腰を落とすと、そんなことを言いながらプリシラが歩み寄ってくる。スバルは「さよけ」と珍しい彼女の慰めのような言葉に力なく応じた。
 と、そんなスバルの膝の上に、プリシラが何の躊躇もなく堂々と腰を乗せてきて、

「おい?」

「暇じゃ、と言ったはずであろう? それに、妾のおかげで此度は致命傷を負うのを避けられた。であれば、予定にない触れ合いがあるのも致し方あるまい?」

「……俺、これも公務だからって理由で一人でいるの見逃してもらってんだけど」

「公務にかこつけて憩うておっただけじゃろう。独り身で過ごすなど、有限の時間を思えば無為なことよ。――妾のために、費やすがよい」

 膝の上で身を揺すり、ぴたりとくっついてくるプリシラの尋常でない柔らかい感触。もう何度もこうして触れ合った仲だというのに、いまだにこうして寄り添うことへの慣れがこない。いつまでたっても、これが初めてのような異常な熱が彼女の魅力を支えている。

「こういう風に思うようになるのが、悪い女に騙されてるってやつなんだろうなぁ」

「傾国の美姫、などと呼ばれるのも悪くはない気がするがな。なあに、今しばらくの間はそうまで蕩けさせるつもりはない。安心するがよいぞ。――ただこのしばしの間だけ、妾という夢に溺れればよい」

 そう言って、プリシラの伸びてくる腕がスバルの首に回される。
 指先の感触に、喉が急速に涸れるような錯覚。すぐにでも、何か唇を潤おせるものを。

 ――それを求めて、すぐ目の前の赤い舌に、スバルの舌が伸びた。


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「なんや、ずいぶん疲れた顔しとるんやないの? よく寝れてない?」

「どっちかっていうと、起きた後からノンストップで動き続けてるのが問題な気が……慣れない仕事で大忙しなのもあるし、プライベートの方でも気も体も休まらないっつーか……いや、俺が自分で選んだことなんだから弱音吐いてる場合じゃねぇけど」

「そうゆう、責任感のあるところはナツキくんのえーとこやとウチも思うよ」

 にこにこと笑いながら、対面のソファに座るアナスタシアが言ってくる。それに力ない笑みで応じながら、スバルは二人の間のテーブルの上を見た。
 そこに散らばるのは、もう今日は見るのもそろそろ嫌になってきた書類の束だ。といっても、今度のものは公務的な事務処理ではなく、趣味的な部分が大きいものだが。

「ナツキくんのおかげもあって、今やホーシン商会はカララギ随一……ウチも胸張って、こうしてルグニカに顔が出せるわけや。ホントーに、どんな顔してってところは厚顔なウチにもあったもんなぁ」

「俺は正直、大したことはしてねぇよ。アナスタシアの……」

「ナツキくん」

 笑顔のまま、スバルの言葉を遮るアナスタシア。彼女は自分のウェーブがかった髪の毛の先端を弄りながら、スバルの方に変わらぬ微笑みを向け続けている。
 ただ、その笑みの質が、なぜかスバルには違ったものに思えて息を呑む。

 しばしの沈黙を経て、スバルは根負けしたように呑んだ息をため息にして吐き出し、

「……アナの努力の成果だ」

「もー、こんだけ毎回言ってるのにいまだに慣れてくれんのはウチの努力不足? それとも、こーやって会うのに何週間も空いてまう側室には気も許せんゆうことなん?」

「そう言うねい。俺はいまだにわりと要所要所でクルシュさんにも敬語使ってんだぜ」

「それこそおかしな話やね。クルシュさん、ナツキくんの前やとデレデレやないの。あれで威厳保ってるつもりやー言うんなら、クルシュさんも案外、自分が見れてへんね」

 口元に手を当て、笑みを濃くするアナスタシア。呼び名と話題の転換で、どうやら機嫌は立て直せたのだろうか。とりあえず、スバルは一安心と胸を撫で下ろし、

「ウチと一緒にいるのに、別の女の子の名前出したやろ。減点や」

「厳しくね?」

「厳しい線決めして、そこを越えんよう注意すんのが商売でも男女関係でも当たり前の気配りやろ? ウチがナツキくんとこういうんになってから、一回でも男の人の名前出したとこ聞いたことあるん?」

 厳しい目で見られて、スバルは言葉に詰まりながら腕を組む。そのまま軽く目線を上に向けて回想に入ってみると、なるほど確かにそういう機会は――。

「なかったかも……って、油断も隙もねぇな」

「えへへー、たまにはこういうんもええやん。ウチ、久しぶりやし」

 と、そうしてスバルが視線をそらす間に、テーブルを迂回してやってきたアナスタシアがスバルの隣に腰掛ける。そっと伸びてきた手がスバルの手を上から包み、はんなりとした微笑みの頬にサッと朱が差しているのが見えた。
 色白な彼女だけに、そうして照れて首元まで赤くなると、どれだけ勇気を振り絞っているのかが一目でわかって、なおさら愛おしさが増すのがわかる。

「……今日は、投資とかその他諸々の結果を持ってきた日って話じゃなかったか?」

「ウチがこの世で二番目に大事なナツキくんから預かった、この世で一番大事なお金で失敗なんかするわけないやろ? そこは信用してな?」

「そこで金の優先順位が俺より高いあたり、どこまでいってもアナはアナだな」

「でも、一番目と二番目は僅差やから。二番目と三番目ぇの間には、もう絶対に越えれんくらいのおっきな溝があるんよ。それで、許して」

 いじましく潤んだ瞳は、金勘定するときとスバルと触れ合うときだけの専用だ。金と同じところに並べられているのは、喜ぶべきか悲しむべきか。

「――なぁに?」

「いや」

 手を重ねられていない方の手で、アナスタシアの綿毛のような髪の毛を撫でる。毛質の細い長い髪は、まるで動物の赤子の体毛のように柔らかで心地いい。
 撫でられるアナスタシアもくすぐったげに目を細めて、猫か何かのようにスバルの胸にすり寄り、鼻を擦りつけてきている。

 そんな風に、愛しい恋人を胸に抱き入れながら、

「まぁ、絶対揺るがない価値観の隣に並べただけ、よしってことなんだろうよ」

 と、自分の立ち位置にひとまずは満足の言葉をかけたのだった。


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「兄ちゃんさ、きっといつか地獄に落ちると思うぜ」

 部屋に戻ったスバルを出迎えたのは、ベッドの上に寝転がるフェルトの辛辣な言葉だった。
 スバルは上着を脱ぎ、タイを外して首元を緩めると、シャツのボタンを外しながらフェルトの方へ歩み寄る。体を起こすフェルトがベッドの上で胡坐をかき、

「なー、聞いてんのかよ」

「聞いてる。つか、それよりお前の方こそドレスで寝転がったりするんじゃねぇよ。あと胡坐もかくな。スカート短いから中身が見える」

「何を今さら言ってんだよ。アタシと兄ちゃんの仲で、今さらスカートがどーとか言ってんなって。見たいなら見りゃーいーじゃん」

「バカ野郎。見たいときに見れるのも大変素晴らしいことですが、予期せぬタイミングで見えてしまうからこそ楽園は楽園足り得るのだ。お前みたいに油断しっぱなしの奴のが見えても、嬉しいどころかちょっと残念なんだよ」

 どっかりとベッドに腰を下ろすと、スバルの隣でフェルトが「ちぇー」と舌打ち。それからベッドに横たわるスバルの横に、同じように寝転がる。
 そうして、寝転がったまま何となく、互いに顔を見合わせる二人。

「今、言ったばっかだろうが……言っとくが、今の姿勢だと誰かがドア開けて入ってきたら一瞬でスカートの奥の奥まで見られるぞ」

「奥の奥までなんか誰にも見せねーから安心してろよ。兄ちゃん、いつまで経ってもアタシのことをガキ扱いしすぎじゃねーか? 初めて会ってから何年経ったと思ってんだ」

「そう言うんなら少しは精神的な部分で女らしさを発揮しろよ。いつまでそんな不良言葉で兄ちゃん兄ちゃん言ってんだ」

「はあ? 兄ちゃんって呼ぶのはそっちの注文じゃねーか。その方が、いちゃいちゃするときに燃えるとかなんとか……」

「やめて! 酔ったときの勢いの発言のことは! 俺の中の俺の知らない獣が俺の本心をつまびらかにするの!」

「本心なんじゃねーか」

 けらけらとフェルトが笑い、掌で顔を覆うスバルの体に拳を当ててくる。柔らかく胸を突かれる感触を、掌で上から包むと、フェルトが「あ」と小さく声を上げた。
 そうして手を重ね合ったまま、

「まぁ、こうやって茶化したりしちゃいるが、実際心配なんだよ。俺も四六時中、お前のこと気にしてやってられるわけじゃねぇし……ここで、お前は不自由するようなことばっかりなんじゃねぇかってさ」

「不自由っつーんなら、兄ちゃんに会った直後からの一ヶ月の方がよっぽど窮屈だったし……あの後のことだって、しんどいはしんどかったんだかんな」

「そこんとこのフォローは俺の役回りじゃなかったしな。そうできなかったのが悔しくも思うけど、こうして手の届く今は俺がどうにかしてやりてぇんだよ」

「……う」

 ぐい、と包んだ腕を引き、転がるフェルトを胸にすっぽりと抱きかかえる。今日のフェルトは肩の出たドレス姿で、触れ合う肌から彼女の熱が高まりつつあるのがわかる。
 フェルトはスバルの腕の中、恥じらいに真っ赤になった顔を上げて、

「ま、まだ夕方前なんだけど……」

「おっぱじめる気になったら別に何時からでもスタートするけど、今はそういうつもりで抱きしめたわけじゃねぇよ。いや、求められるならやぶさかじゃないが……」

「い、いや! 今はいい! あ、アタシの方だって覚悟っつーか、心の準備っつーか、滋養強壮にいいものを食べて飲んで万端にしなきゃっていうか!」

「お前、夜に俺の部屋くるたびにそんな準備してんの?」

「だ、だって……ッ」

 思わぬ内容に驚いたスバルに、フェルトの顔は茹でダコのような赤さだ。反論しかけた彼女はそこで言葉を切り、もう一度口の中だけで「だって」と繰り返してから、

「兄ちゃんの相手っていっぱいいるし……何日かに一回しか順番がこねーんだぜ。そんときにこっちの準備不足で、兄ちゃんガッカリさせたりしたら、アタシだってやだし」

「…………」

「ま、周りにいんのがすげーのばっかだから、一番になれるとか思ってるわけじゃねーよ。エミリアとかレムとか、あのへんに勝てる気しねーし。む、胸とかだってクルシュにもプリシラにも負けてっしな。アナスタシアには、勝ってっと思うけど」

 成長期に入って、いくらか膨らんだ自分の胸に手を当てて、フェルトは述懐。それから彼女はなおも早口に言葉を続ける。

「でも、ずっと一番になれなくても、その……二人きりのときぐらいは、アタシを一番にしててもらいてーんだ。だから、その、それぐらいはしたいっていうかさ」

フェルト

「……んだよっ! あ、アタシがこんなこと考えてたら変……」

「お前、超可愛い奴だなぁ!」

「――あぶっ」

 言い訳を繰り返す姿があまりに可愛らしくて、スバルは抱きしめたフェルトをさらに強く深く抱きしめ、その頬に、額に、首に、キスの雨を降らせる。
 そんなスバルの過剰反応を受けて、雨にやられるフェルトは大混乱だ。彼女は顔を青くしていいのか赤くしていいのかわからない様子で目を回して、

「な、な、な……」

「前々から可愛いのはわかってたけど、お前今のは反則だろ? うわ、うーわー、今のはヤバかった。すごかった。初めて会ったとき、路地裏でお前に見捨てられたときの衝撃が今、塗り替えられる!」

「アタシ、兄ちゃんにそんなことしたっけ!?」

「いいんだいいんだ、帳消しだ。水に流した。あのときの恨み骨髄があったせいで、これまでベッドの上じゃお前をいじめてばっかりだったけど、今後は優しくするよ」

「そんな理由で……あ、でも、別にちょっと乱暴にされるぐらいなら気にしてねーけど……あ! 今のなし!」

 撫でくりするスバルの掌の感触に、気が緩んだのかいらないことを言ってしまうフェルト。彼女は自分が失言したことに気付くと、にやにや笑うスバルの胸を突き飛ばして、跳ねるようにベッドから飛び降りる。

「あー、クソ! いらねー恥かいた! もう二度と言わねーかんな!」

「そっかそっか、ちょっと乱暴なのがいいのかよ。よく覚えとくぜ、俺の嫁!」

「うるせー! やっぱり兄ちゃん、地獄に落ちちまえ!」

 行儀悪く中指を立てて、フェルトが赤い顔のまま背中を向けようとする。が、スバルは遠ざかりかける彼女の手を取って引き留め、

「待った。――フェルト。頼むから、さっきも言ったけどあんまり人前で無防備なとことか、ちょっと育ちが悪いとことか見せるなよ。俺のいないとこで、お前になんかある可能性が恐いからよ」

「……大丈夫ですわよ。私、余所ではちゃんと余所行きにしていますもの」

 振り返るフェルトが口元に手を当て、上品に微笑んでそう返してきた。思わず、鼻白むスバルにフェルトは小首を傾げ、

「どういたしましたの? 顔色が悪くてございますわ」

「……俺の前ではやめろ。隙だらけでいい」

「はっ、そーだろそーだろ。アタシも兄ちゃんの前で上品ぶるのは背中が寒くなるから二度とやりたくねーや」

 けらけらとフェルトが笑い、それから青い顔をしているスバルに指を突きつけた。
 すぐ鼻先に突きつけられた指を見るスバルに彼女は、

「それと、心配しなくても平気だから」

「何が?」

「アタシがスカートで、その……寝転がったりとか、そういう隙だらけなのは……兄ちゃんの前だけだから。そーいうとこ、他の誰にも見せねーから」

「…………」

 それだけ言って、フェルトはサッと顔を背けると部屋のドアの方へ足を向ける。が、まだ突きつけられていた腕が残っていたので、スバルは素早くその腕を取った。
 そして思いきりに引き寄せ、

「むぎゃー!」

「やっぱりお前、超可愛いなぁ! 可愛い! 可愛い! フェルトちゃん可愛い!」

 再び、キスの集中豪雨が降り注いだ。


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「スバルくん。その左目、どうしたんですか?」

フェルトの照れ隠しに熱い拳のキスを食らった。あんなんでも、可愛いとこあるんだけどな……ちょっと今回は俺が調子乗りすぎたな」

「もう、気をつけてください。スバルくんの体は、もう一人のものじゃないんですから」

 夕刻過ぎ、部屋を訪れたスバルに柔らかな微笑みを向けて、レムがそんな風に言う。
 彼女の微笑みに肩をすくめて、スバルはレムの傍らへ。立ち上がって場所を譲ろうとする彼女を手で制し、

「お前の方こそ、気をつけろって。確かに俺の体が一人のもんじゃないってのはたとえ話として正しいけど……今は、リアルにお前の方がそれに相応しいんだし」

「ごめんなさい。本当なら、この忙しいときこそレムがスバルくんの力になってあげなきゃいけないのに」

「勘違いすんな。今のレムは安静にして、こうやって顔見にくる俺に最高の笑顔を見せてくれちゃそれでいいの。それが一番パワーになります。なにせ」

 言いながら、スバルは椅子に腰掛けるレムの前で膝をつき、彼女に向かって手を伸ばす。その指先が行き着く先は、彼女の腹部――線の細いレムのお腹は今、わずかに膨らんでいるのがわかる。そこに、もう一つの生命が宿っているのだ。

「俺とお前の愛の結晶がここにいるからな。どんだけ、俺の活力になってることか」

「精神的な支えになれるのも嬉しいですけど、もっとちゃんと物理的にもスバルくんを支えたいんです。ペトラに役目を取られて、悔しいのかもしれないですね」

 小さく舌を出し、動き回るのに難儀な悔しさを押し隠そうとするレム。
 メイド業務は今や、ほぼ万能メイドとしての才覚を受け継いだペトラに移譲していて、レムは一日の大半をお腹の子のために費やしていた。
 特にここ最近、レムの時間を奪っているのは、

「靴下、もうずいぶんたくさんできたな」

「編み物、最初は苦手だと思ったんですけど……作ってる間に、どんどん楽しくなってしまって。子どもが大きくなるのを考えて、ちょっとずつちょっとずつ大きくするんです。最初は親指ぐらい、握りこぶしぐらい、掌ぐらい、リンガぐらい、メロンヌぐらい……」

「俺とお前の掛け合わせで、何をどうしたら巨人サイズの靴下が必要になんの!?」

「大きくすくすく、のびのびと育ってほしいなって思って……」

「俺の知ってる一番でかいジジイより大きくなる可能性があるから嫌だよ!」

 どんな子どもが生まれても愛せる自信はあるが、その自信を上回れると自信がない。スバルの突っ込みにレムは「冗談ですよ」と笑みで応じて、

「いくらなんでも大きすぎる、っていうのは途中で気付きましたから。今はほどいて小さく作り直しました。子どものばかりというのもなんなので、スバルくんの分も」

「お。俺のも作ってくれたんだ。そりゃ嬉しいな。よし、レムが愛情込めて一つ一つ丁寧にやってくれたお仕事だ。肌身離さず身につけるぜ」

「はい。手袋と、靴下と、腹巻と、腰巻と、襟巻と、耳当てと、帽子と、下着と、肌着と、上着と、履物と、脛当てです」

「子どもの分の毛糸ってちゃんと残ってる!?」

 次々と差し出される色とりどりの編み物作品。これ全てを身につけて公務に挑んだ場合、たぶん十数分で暑さでグロッキーになる。
 器用な人間に地道な趣味を与えて放置するとこういうことになるのだ。

「さすがにこれ全部装備して仕事すんのは厳しいな……ローテーションでいい?」

「大丈夫ですよ。レムは、スバルくんが贈り物を受け取ってくれるだけで十分です。それだけで、こうして編み物をしていた時間が報われますから」

「レム……」

「だからもらったものをスバルくんがどうしようと、スバルくんの自由です。押し入れの奥にしまって埃をかぶってしまっても、うっかりミルクをこぼしたときに拭くのに使っても、ちょっと休もうと思って座ろうとした椅子が汚いから敷物代わりに使われても、レムは何とも思いません」

「一個ずつ、毎日大切に使うから! そんないたたまれない想像しなくていいよ!」

 もらった編み物をしっかりこの場で全て身につけ、「この通り!」と見せつける。スバルの暑苦しい雄姿にレムは感動した様子で手を叩く。

「ほーら、あなたのお父さんはこんなに優しい人なんですよ。早く、お父さんに元気な姿を見せてあげたいですねー」

「今の俺の姿を見たら、これ着てないときの俺が俺ってわかんないんじゃないかな。お父さん、ちょっとそれが心配なんだけど」

「大丈夫です。レムの子ですから、スバルくんのことが大好きですよ。だからスバルくんがどんな姿になっていても、すぐ見つけてくれます」

「でも半分は俺の子だからね。そこらへんの劣性遺伝子が心配だわぁ」

「スバルくんはいつでも素敵です。ですから、スバルくんに似るなら、この子もきっと素敵な子になりますよ」

 お腹をさすりながら、レムは唇を尖らせるスバルにいつものように言う。レムのスバルへの過大評価は、ずっとずっと変わっていない。だからスバルの方も、彼女のその大きな評価に見合うだけのものを、積み上げなくてはとずっと頑張る必要がある。
 彼女にもらえる力は、だから本当に、すごいものなのだ。

「ねえ、スバルくん。男の子と女の子、どっちがいいですか?」

「難しいとこだな。レムに似ればどっちでも可愛いorかっこいいになると思うけど、俺に似るとなるとこの目つきが遺伝するからな……女の子だと可哀想だ」

 なお、スバルそっくりの目つきの母親は、それはそれは幼少のみぎりは苦労したそうだ。常に不機嫌にも見える目つきだったため、道を歩くだけで同級生の女の子たちが恐れてお菓子を献上してくれるので、いつもお腹がいっぱいだったとか。
 たぶん、目つきの悪いデメリットに気付かず生きたのがスバルの母だろう。まだ生まれてもいない娘が、あの母ほど察しが悪いとは思えない。

「俺の家系の目つきの悪さの遺伝率が半端ないからな。母ちゃん側の爺ちゃんに、その上の爺ちゃんも悪かったらしい。だから、たぶんかなり高い確率で遺伝する」

「それじゃ、男の子の方がいいですか?」

「けど俺の地元には一姫二太郎って言葉もあるからなぁ。最初の子は女の子で、次の子は男の子ってした方が、育てやすいとかそんなだった気がするけど」

「もう。それじゃ、どっちがいいのかわからないじゃないですか」

 あっちへこっちへ結論の転がるスバルに、レムが怒ったように頬を膨らませる。その頬を指で突き、空気を抜いてやってからスバルは笑いかけ、

「だから、どっちでもいいんだって。いや、どっちでもいいってのは適当な意味じゃなくて、どっちがきても愛せるし、愛するってわかってっからさ」

「スバルくん……」

「女の子がきたら、そりゃ俺は蝶よ花よと可愛がりに可愛がって甘やかしに甘やかしまくってすげぇべったりで育てる。将来はお父さんのお嫁さんになる!って中学生ぐらいまで言わせるのが目標だな。中学まで娘に大好き扱いされてたら、そりゃもう世の中のお父さんとしては完全に勝ち組すぎるだろ。嫁が可愛すぎる時点で完全に勝ち組だが」

 流れるように出てくる賛辞に、レムが頬を赤らめる。
 そのレムの赤くなった顔を愛おしげに見つめながら、スバルは指を立てて、

「で、男の子が生まれるんなら、父親は息子にとって最大の壁であり、最大の好敵手であり、最大の悪友であるという親父から受け継がれる伝統を俺もまた実践しよう。常に容赦なく、ぶつかり合う関係であり、何度も何度も千尋の谷へ突き落とす獅子として振舞うのだ! ああ、それも楽しみ!」

 だから、とスバルは言葉を継ぎ、

「レムはそんな心配しないで、元気な赤ん坊を産むことだけ考えててくれよ。大丈夫だ、超安心してろ。俺が超愛してるお前が、俺を超大好きで生んでくれる子だぜ。俺が超可愛がれないわけがねぇだろ?」

「――はい、そうですね」

 スバルの大げさなアクションを見ながら、レムが幸せそうに唇を綻ばせる。その微笑みを見ていて、スバルはどうにもむずがゆさを我慢できなくなって、

「レム」

「――――」

 名前を呼んで顔を寄せただけで、レムもすぐに何を求められているのかを察した。
 そのまま、目を閉じるレムに顔を寄せて、スバルは彼女と唇を重ねる。

 柔らかい感触に、どこかおずおずと伸ばされてくる舌。
 愛おしさを絡め合いながら、スバルはずっと、彼女の体を抱きしめていた。


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「今日も一日、しんどかった……!」

 寝る前に持ち込まれた書類仕事に片をつけて、スバルは腕を回しながら部屋に戻る。夕刻前に終わったはずの事務仕事が、一部関係部署の処理が遅れた関係で、残っていた分がどっと押し寄せた。おまけに、即日それを処理してくれというのだから無茶な話だ。

「マジで、ちょっと俺が軽んじられてる気がする。ノーと言えない日本人の気質が、ここにきて仇になってるか……もっと、ドンと断っていってもいいのかな」

 しかし、それで問題が滞りでもしたら、困る人がいっぱい出るのではなかろうか。
 そう思ってしまうと、なかなか自分一人の都合で「嫌だ!」と突っぱねるのも勇気がいる。そのあたりの小市民な部分は、立場が変わってもなかなか変わらない。
 こんな頼りない発想の王様で、本当にいいんだろうか。

「ま、今さらすぎるけどな。なっちまったもんはしょうがねぇんだし。弱音ぽろぽろこぼしてても、聞かせる相手なんか……」

「それじゃ、私がスバルのその、吐き出す場所になってあげる」

 独り言を言いながら部屋の扉を開けて、一日の疲れの原因と今後の方策を練っていたスバル。それを出迎えたのは、開かれた窓の縁に腰掛けて、夜風に銀髪を揺らす少女だ。
 彼女は月光に銀色の髪をきらめかせながら、スバルを振り向いて微笑む。

「おかえりなさい。すごーく、お疲れ様」

 そうして労いの言葉をかけられて、しばしスバルは言葉を失う。
 彼女の夜の訪問が意外だったのもあるし、その笑顔の癒し効果が絶大だったことも原因に上げられる。ただ、それよりも大きな要因があるとすれば、

「あれ……なんだ、ろ」

 ふいに、瞳の奥から湧き上がってくる感情。熱いものが込み上げてきて、スバルは思わず流れ出しそうなそれを堪えるために顔に袖を当てる。
 顔を見て、急に泣き出されたのではエミリアが不安に思うだろう。だから、懸命にそれを堪えようとするのに、どうしてもそれが止まらない。

「くそ、あれ、なんだよ……え、エミリアたんが、きてんのに……」

「スバル」

「だ、大丈夫だから。何ともねぇし、全然、平気だ。すぐ、こんなの……ちょっと、何かの間違いで……」

「――――」

 言い訳を早口に言いながら、スバルはエミリアから顔を背ける。今の、みっともない顔をエミリアには見られたくない。否、他の誰にも見られたくない。
 スバルがこんな風に弱い顔を見せることなど、今さら誰にもできないのだ。
 当たり前だ。今、スバルが立っている場所を見て、そのために押しのけた顔ぶれを思い出せば、そんなことができるはずもない。

 彼女たちの願いを押しのけて、それでもこうして立つスバルを、彼女たちは責めず、それどころか愛おしいと接してくれている。
 そのことに、どれだけ救われていることか。それだけで、十分なはずなのに。

「俺、俺は……」

「もう、ホントにスバルってば、意地っ張りのオタンコナスなんだから」

「――あ」

 虚勢を張ろうとしたその口が、エミリアの指先に止められる。そのまま目を見開くスバルに、すぐ間近に立つエミリアが背伸びして――唇を合わせた。
 衝撃に、頭が打ち抜かれたような錯覚。痺れるような感覚が舌先から全身に走り、今の今まで込み上げていたものが意識の彼方へ追いやられる。

 唇が離され、そのまま目を瞬かせるスバルの頭を彼女は胸に抱き入れた。背中に、ゆったりとしたリズムで手が当てられ、子どもをあやすように撫でられる。

「大変?」

「……いや、まだまだいける」

「助けがほしい?」

「もうちょっと、頑張ってみるよ」

「ホントのホントに、無理してない?」

「無理は、ちょっとはしてる。でも、今が無理のしどころだと思うんだ」

 以前にも、ずっと以前にも、こうして彼女に慰められたことがあった。あのときのスバルは弱音をぶちまけて、弱音以外にも涙と鼻水もぶちまけて、エミリアに縋った。
 そのときのことを思い出して頬が熱くなる。けれど、それは恥ずかしいばかりで熱くなったわけじゃない。誇らしい気持ちもあった。

 あのとき、弱さでへこたれているしかなかった自分は、あのときと同じようにエミリアに抱かれながらも、意地を張り続けることができるぐらいには、男になったのだ。

「実際、あのときは男の子だったのが、今はちゃんと男だしな」

「……今、何か変なこと考えてなかった?」

エミリアたん、超いい匂いするなぁって。このまま、押し倒してもいい?」

「え、やだ。水浴びしてからじゃないと、外から戻ったところだし……」

 ふいにいつもの調子に戻って、抱きしめていたスバルから体を離すエミリア。彼女は手櫛で自分の銀髪を梳き、反対の手でスバルの視線から体を隠すように抱きしめる。
 そういう仕草をされる方が、よっぽどスバルの興奮を掻き立てることを、彼女は全くわかっていない。そういう抜けたところこそ、彼女の最高の魅力なのだが。

「それに、今夜は私の番じゃないんじゃないの?」

「ところがどっこい、今日は何日かに一度の休息日。たまには独り寝させておかないと、早死にすること間違いなしというフェリスの診断で、体を休ませる夜なのだよ」

「じゃあ、なおさら私と一緒にいたらダメなんじゃないの?」

「そりゃ心臓ドキドキ息はハァハァ鼻息はブヒーブヒーと大変なことになってるけど、それらを堪え切って、エミリアたんと一緒に布団にくるまってるだけってのも、乙なもんだと思うわけよ、俺」

 指を立てて、遠慮がちな姿勢のエミリアにスバルは提案する。
 そのスバルを疑わしげにエミリアは見つめて、

「スバル……我慢できるの?」

「愚問だな。俺はやると言ったらやる男だぜ。だから、やらない! って言ったらちゃんとやらないができる」

「ごめん、ちょっと何言ってるのかわかんなくなってきちゃった」

「俺もよくわかんなくなったけど、安心男ってことが言いたかった。それこそ、エミリアたんの方こそどうよ。俺と一緒に寝てて、俺への愛おしさが爆発したりしない?」

「あ、それはすごーく全然まったくちっとも心配いらないけど」

「なんでちょいちょい強めに否定入れんの?」

 微妙に傷付いた表情をスバルがすると、エミリアは「そんなつもりないのに……」と心外そうな顔で呟く。
 出会った頃から変わらないが、彼女は自分の発言がどれぐらいスバルに大きな影響を与えるのか、もう少し吟味して発言するべきだと強く思う。

 もちろん、いつもそういう風に伝えているのに改善されていない時点で、今後言い続けても改善されない部分ではあるのだろうと思うけど。
 ともあれ。

「んじゃ、そんなわけでそろそろお休みモードに入ろうと思うんだけど……エミリアたん、俺と一緒に布団にくるまってグータラしてくれる?」

「ん……私も疲れてるし、久しぶりにスバルと一緒にいたいし……わかりました。一緒にグータラしてあげます」

「おっし」

 差し出した手を、エミリアが上品な仕草で取る。
 そのまままるで踊りをエスコートするようにスバルが手を引くと、エミリアの軽い体が引き寄せられて胸に飛び込んだ。そのまま抱き合い、しばしの沈黙。
 それから二人、ゆっくりとベッドの中に潜り込んで、

「じゃ、おやすみ、エミリアたん。夢の中でも、きっと俺のことを見つけてね」

「ん、頑張ってみるね。――ね、スバル」

「んー?」

「……大好き」

 それだけ言って、枕に顔を押し付けるエミリアの顔が見えなくなる。明かりの落ちた部屋の中、スバルは月光だけが頼りの部屋の中で、

「エーミリアたん」

「あ、ちょっと、スバル、我慢するってさっき……」

「我慢するって言ったらするって言ったけど、そういえば言わなかったなーって思って」

「そんなの、ただの屁理屈……ん」

 一緒の布団に入ったのが運の尽き。
 言い募ろうとする唇を唇で塞いで、スバルは銀色の少女への愛おしさを全身で表現する。
 最初は抵抗していたエミリアも、次第にその抵抗はなくなっていって――。

「もう、スバルのオタンコナス」

 と、照れ臭げに言って、夜が深まっていった。